いまの社会と救われる言葉  2020/03/28

最近、政治はTVでも、総理大臣の空しい言葉を聞いても、その顔を見ても・・チャンネルを変えることが多い。その背景に、政権を支える自民党員と全国の支持者がいる。総理大臣自らが、森友・加計問題から事ある問題に至るウソをつきまくっていることは明らかだと私は思っているから、選挙も民主主義も空しい言葉に過ぎない。いまの社会・世界を見ても、ウソとデタラメが、対立・争い・暴力・腐敗・悲惨をもたらし、戦争は途切れこともない。それが、歴史的に人間がやってきたことなのだ。地球は嘆いていることだろう。

わずかながら、救われる新聞記事にも出合う。

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〔(社説)森友問題 真実知りたいに応えよ 朝日 2020年3月20日
 意に反する不正行為を強いられ、公務員としての矜持(きょうじ)も砕かれた。その無念はいかばかりであったか。いまだ解明されていない森友問題の真相に迫る新たな動きにつなげねばならない。

 森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざんに加担させられ、自ら命を絶った近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)の妻が、国と当時の理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)氏に損害賠償を求める訴えを起こした。

 弁護団が公表した赤木さんの手記には、本省主導で公文書が改ざんされていく過程が、関係者の実名入りで詳細に記されていた。すべてが佐川氏の「指示」であるのに、近畿財務局に責めを負わせようとする財務官僚の無責任体質への怒りもつづられていた。

 麻生財務相はきのうの記者会見で、18年に財務省が公表した調査報告書と手記の内容に「大きな乖離(かいり)」はないとして、再調査を行う考えはないと述べた。報告書では、佐川氏が改ざんの「方向性を決定づけた」と認定しているが、具体的な指示があったのか、佐川氏の一存だったのかなど、肝心な点ははっきりしていない。

 そもそも、第三者が入らぬ財務省の内部調査である。首相官邸森友学園の名誉校長だった安倍首相の妻の昭恵氏らからは話も聞いていない。そして、この問題の核心である国有地の大幅値引きについては端(はな)から何も調べていない。全容解明に程遠い報告書を盾に、再調査を拒むのは不誠実極まりない。

 佐川氏には法廷で真実を話すとともに、国会でも説明責任を果たしてもらわなければならない。国民共有の財産である公文書が改ざんされ、国民を代表する国会の審議がうその資料と答弁の上に重ねられた。大阪地検の捜査は関係者の不起訴で終わっているが、立法府の行政監視機能がないがしろにされたのである。国会が真相解明に後ろ向きであってはならない。

 「(国有地売却に)私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」。改ざんは首相がこう言い切った国会答弁の後に始まった。首相は手記をどう受け止めるのか。国会できのう「胸が痛む」としながらも、事実関係は麻生氏の下で徹底的に解明されているとの認識を示した。この問題をもう終わったことにしたいのだろう。

 赤木さんの妻が公表したコメントにはこうある。「夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が誰のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたのか、真実を知りたい」。この切実な声に応えずして、首相への信頼回復はない。


池上彰の新聞ななめ読み)財務省職員自殺、遺族が提訴 記者の「共感力」あらわに  朝日 2020年3月27日

 私の記者生活は今年48年目になります。長ければいいというものでもありません。何をやってきたんだろうとの自戒を込めつつ言いたいことは、記者には「共感力」とでもいうべきものが必要ではないかということです。ここでの私の定義は「弱い立場の人の思いに共感し、その人に代わって発信する力」のことです。

 「読者に寄り添う」とか「読者の視線で」とかの表現もありますが、「寄り添う」という言葉は、すっかり手あかがついてしまいました。そこで私が使うのは「共感力」です。

 記者は、世の中のあらゆる事象を扱います。私も駆け出しの記者時代、さまざまな事件に遭遇し、多数の遺体を見てきました。無残な遺体の身元確認をすることになった遺族の横で言葉を失ったこともあります。

 どうすれば、こんな悲劇が二度と起きないようにすることができるのか。自問自答しつつ、そのためには事件や事故をきちんと世の中に伝えることだと言い聞かせて仕事をしてきました。

 しかし、慣れとは恐ろしいもの。そのうちに悲惨な現場を悲惨と感じなくなっていく自分がいました。自分の感情を押し殺した方が、取材が迅速にできるという事情もあったからですが、いつしか「共感力」が摩滅したように思えました。

 でも、それでいいのだろうか。自分は何のために記者になったのか。いまの現役の記者諸君にも原点に返ってほしいと思うのです。

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 私がこう思ったのは、「森友文書改竄(かいざん)」問題で財務省の職員が自殺したことをめぐり、自殺した職員の妻が国と佐川宣寿・元同省理財局長に損害賠償を求める訴えを起こした記事を読んだからです。

 私はいま「改竄」と書きました。朝日新聞の用語ルールでは「改ざん」と書くのですが、改竄と書いた方が悪質なイメージが喚起されるので、あえて漢字にしておきます。

 3月19日付本紙朝刊は、1面トップでこのニュースを伝え、2面、4面、39面でも扱っています。

 実はこの話は「週刊文春」が先に報じているのですが、弁護団が職員の手記や遺書を公開したことで、新聞各紙も報じることができました。

 週刊文春でこのニュースを伝えたのは、NHK大阪放送局で森友事件を取材していた相沢冬樹氏。NHK内の人事異動で記者を外され、いまは大阪日日新聞記者です。記者魂とはどんなものか教えてくれます。

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 では、朝日以外の新聞は、このニュースをどう伝えたのか。毎日新聞は同日付朝刊1面の左肩に掲載しています。朝日ほどではありませんが、それなりの報道です。

 1面での扱いは大きくありませんでしたが、26面に残された手記の全文を紹介しています。朝日は手記の要旨しか掲載していなかったので、この点で毎日の扱いが光っていますね。読者は週刊文春を買わなくても全体を把握することができたのですから。

 読売新聞は、どうか。34面に「自殺職員の妻提訴」という3段見出しの記事です。4面の政治面でも財務省の対応を小さく報じていますが、これだけです。記者には「共感力」が求められると冒頭に書いたのは、この扱いを見たからです。

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 公文書の改竄をするように求められた職員が自殺し、改竄の経緯を記した手記を残していた。職員は、改竄を求められたことなどからうつ状態になり、自殺。その後、財務省の近畿財務局は、公務災害に認定している。これは大ニュースでしょう。これを大きく扱わないというのは、どういうことなのか。現場の記者が短い原稿を書いただけだったのか。それとも現場の記者はしっかりとした原稿を書いたのに紙面化の段階で小さな扱いになったのか。真相は紙面を見るだけではわかりませんが、記者の原点に返ってほしいと言いたくなったのです。

 一方、日経新聞は、提訴の記事だけでなく、職員が残した手記の要旨も掲載しています。日経新聞の記者の方が、読売の記者より「共感力」があるように思えます。〕