コロナから見えてくる  2020/08/15


私は体に異変や不調が現れたとき、医療にも疑問があるので、まずその不調には生活の中の何かの原因があるのではないかと考えることにしっている。それは食事だったり睡眠や運動によって、血液の流れが悪くなることによる代謝の問題に行き着く。そのように考えて、座り続ける生活を見直すことによって、発見することも多い。

体と同じように心の問題、つまり社会の様々な問題や動きを見るときも同じように考えて、コロナの世界的の課題についても、それはマイナス面ばかりでなく、世界中の人々の健康・医療・経済から生命にもかかわる大問題についても、いままで気がつかなかった人類や地球レベルの発見や生活の見直しの機会となるのではないかとも考えられる。

いまの社会の、世界の、教育の、政治の、医療のありかた、そして、オリンピックの陰に見えるゆがんだ姿と対極に見えてくる貧困の問題・・そして中国の強権的暴力、イスラエルパレスチナに見られる宗教のゆがみ・・が見えてくる。


〔(多事奏論)コロナ禍の目覚め 安倍劇場と「共演」してない? 朝日 高橋純子 2020年7月22日
 今年、スケジュール帳に添える筆記具を「こすると消える」ペンに変えた。特段の意図はなかったのだが、3月以降、とても重宝した。4月の仙台、5月の広島、6月の長野に福岡、8月の北九州……すべて消しきってから、後悔した。記録として残しておけばよかった。何が予定されていて、いつどうキャンセルになったのか、あとで見返した時になんらかの記憶を呼び起こすフックにはなり得たかもしれない。

 良くも悪くも、人は忘れる。東日本大震災のあと数年間をかけて、私はつくづく実感したのだった。あのとき、多くの人たちが、「変わらなければ」と確かに思った。脱原発の集会やデモには万単位の人が集まった。自分たちが享受してきた便利な生活を見直し、文明を問い直そうという議論がさまざまに、活発になされた。

 だが、簡単に答えが出ない問題を、踏みとどまって考え続けるには知的にも精神的にも体力がいる。記憶が薄れればどうしたって現状維持に傾くし、まじめに考え続けてやきもきしている自分はなんだか損しているようにも感じられてくる。

 ああ、疲れた。

     *

 そんな「厭戦(えんせん)気分」ならぬ「厭考気分」にうまく乗じたのが、安倍政権だったと私は思っている。「この道しかない」と力強く言い切り、7年半の間、選挙であれ外交であれ、一種の見せ物として仕掛けていく「イベント屋」としての才をいかんなく発揮、難しいことは考えなくていいんですよ、面倒なことは忘れて、いまここを楽しみましょうよ、その方が人生お得ですよ――そんなメッセージで人々のもやもや、後ろめたさをこすって消してくれた。

 その集大成が、あさって7月24日に開会式が予定されていた「復興五輪」、東京オリンピックパラリンピックとなるはずだった、はずだ。

 もし予定通りだったら、いまごろどんな感じだっただろう。連呼される「がんばれニッポン」。あおりあおられる一体感。そんな中でたとえば、森友学園をめぐり公文書改ざんを命じられたと命を絶った赤木俊夫さん、妻・雅子さんの訴えは、どれくらいの音量で人々の耳に届いただろうか。

 「アンダーコントロール

 始まりは2013年9月、IOC総会における首相の英語でのプレゼンだった。「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています」(首相官邸ホームページの日本語訳)。自国の首相が堂々とうそをつく、うそが過言なら誇大広告と言い直してもいいが、いずれにしても、カタカナ表記にされた「フクシマ」、そして世界に対する向き合い方はいかにも不誠実で、恥ずべきものだった。だが、日本社会の受け止めは意外なほどにさばけていた。「結果、招致成功したんだからいいじゃない」みたいな。

 「うそも方便」が裏口ではなく表玄関をくぐり、それを拍手で迎えてしまったら、あなたも私も、首相プロデュースの舞台「不誠実」の「共演者」、控えめに言っても「観客」である。まんまとしてやられた。悔やんでも時すでに遅しで以後、舞台は題材を変えながらロングランを続ける。都合の悪い情報は隠し、あったことはなかったことにして、はい、ジョウキョウハトウギョサレテイマス。果たして赤木さんを追い詰めたのは、官僚機構の論理だけだろうか?

     *

 どうしたって五輪は強力な「リセットボタン」として機能する。ならば延期に伴うこの1年の「猶予」は、小さな声に耳をすませ、忘れてはいけないことを握りしめる、そんな時間にしたい。だって私は心底驚いたのだ。コロナ禍でイベントをうてなくなり、派手な衣装も照明も排した「裸」の政権の姿に。いつの間にこんなにやせ衰えていたのかと。首相は自分の言葉で人々に語りかけることすらできないのかと。

 (編集委員

 

真山仁のPerspectives:視線)15:延期の五輪 朝日 2020年7月22日

 ■「絶対開催」言われても、無関心の波

 人々の会話から、五輪の話題が消えた気がする。あえて話を向けると、「もうやらないでしょう」という反応ばかりが返ってくる。

 先行きが見えないコロナ禍や、政局、洪水災害等々……。日本を取り巻く環境が日々、過酷な様相を呈する中では、致し方ないかも知れない。


 もはや静かに「五輪無関心」の波紋が広がっているというのが、実感だ。

 それでも、東京五輪は開催する、と強く望んでいるのは、誰だろう。

 開催都市代表の小池百合子知事は再選されてから、五輪に向けてギアを上げた。自らの“熱い”演説で五輪招致を決めたと自負し、1年延期を実現させた安倍晋三首相も鼻息は荒い。

 さらに、五輪開催こそが存在意義である国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が予定通りの規模での東京開催を望んでいるのは、日々の発言からもうかがえる。東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長も、同様のようだ。

 では、参加する選手はどう考えているのだろうか。組織委の理事も務める日本サッカー協会田嶋幸三会長は、「五輪は、ぜひ開催して欲しい。選手は大会を目指して切磋琢磨(せっさたくま)してきたわけだし、その思いに報いたい」

 サッカーの場合、世界が熱狂するFIFAワールドカップもある。たとえ五輪が中止になっても世界で戦う機会がゼロになるわけではない。

 「ワールドカップと五輪は別。例えば、前回のリオ五輪の時、普段は五輪を重視していなかったブラジルチームが金メダル奪取に燃えた。そして見事それを手にしたことで、リオ五輪は成功だったと考えているブラジル人が多い」

 日本でも、1968年メキシコ五輪釜本邦茂を擁した日本チームは、銅メダルを獲得。それが、日本でのサッカー振興にもつながった。

 また、経済効果への期待も根強い。

 2017年に東京都が試算した経済効果は32兆円超(ただし、大会招致が決まった13年から大会10年後の30年までの18年間の総額)。

 一方で、今年3月に関西大学の宮本勝浩名誉教授が「延期の場合、約6408億円、中止は約4兆5151億円の経済的損失が推測される」という試算を発表した。

 だから、五輪は開催しなければならないのだ!となるのだろうか。

 それに、延期する場合は、さらに予算が必要になる。報道などでは最低でも3千億円から5千億円が必要と言われているが、試算はあくまでも試算だ。大抵は様々なマイナス要因が加わり、損失額や負担額は大きくなる。コロナ対策だけでも国家予算規模の額を拠出し、この先いくら必要なのかも不明な時に五輪のために、莫大(ばくだい)な負担をするというのか。

     *

 五輪に関していえば私自身は、当事者ではないし、無責任な立場である。その視点で五輪開催について考えてみたい。まず、コロナ禍が終息し、従来通り、人もモノも自由に移動できる世界になってはじめて、五輪開催が可能になるのではないか。

 では、それはいつか。

 残念ながら、神のみぞ知るだ。

 日本で感染者が増えており、先行きはさらに混沌(こんとん)としてきた。おそらく、ワクチンなり治療薬なりが完成し、多くの人に行き渡らないかぎり、安全宣言はなされないだろう。

 新聞報道などによると、東京五輪の準備を監督するIOCのジョン・コーツ調整委員長は、開催可否を判断するのに10月が重要なタイミングになると発言した。ところが、それで可否が決まるわけではないらしい。

 組織委の森会長は自民党内の勉強会で「判断は来年4月になってから」との見方を示している。とにかく開催したい人はいつまでも判断を遅らせるに違いないということが、推測できる。

 また、「簡素化して開催」という声が上がっている。簡素化は定義されていないが、いくつか考えられる。

 一つは、無観客での開催だ。

 出場選手だけが隔離と健康チェックを徹底した上で、競技してもらおうという考えだ。この場合、チケット代は払い戻される。その額は、約900億円に上る。

 それでも、開催することは「アスリート・ファースト」としては、「やらないより、まし」なのかも知れない。

 ■バブル教訓、撤退するなら今

 しかし、「日本で開催するのに、誰も観戦も応援もできず、テレビの前で見るなら、東京開催は無意味」という声が上がってきそうだ。

 その上、今月17日のIOC総会で、バッハ会長は観客数の制限について「一つのシナリオとして検討」と述べる一方で、「我々は熱狂的なファンに埋め尽くされた会場を目指している」と意気込んでいる。

 五輪の名物でもある開会式と閉会式は短くするという案もあるという。それについては、森会長が、テレビ放映の関係で予定通りとIOCから求められているという認識を示した。バッハ会長にしても、森会長にしても、まだ通常通りの五輪開催を行えると思っているようにしか、私には見えない。

 組織委は17日、種目の変更はないと発表したが、展開次第では種目を絞り込む可能性が出てくるかもしれない。私見だが近接して競技を行う柔道、レスリング、ボクシングなどは難しいのではないか。実現可能な種目の絞り込みをどのように定めるのかを、考えるだけで頭が痛い。

 簡素化しても、コロナ禍で多くの感染者を出した国から選手を招くのを、日本人は歓迎するだろうか。

 コロナ禍が深刻な国は、欧米ロなどスポーツ大国が並ぶ。また、コロナが最初に出現した中国はどうだろう。

 コロナ禍が軽い国の代表だけで五輪を行うという選択肢はある。その時は、日本は、史上最多の金メダルを獲得出来るかも知れない。

 逆の発想も、考慮の必要がある。

 今後、日本で新型コロナウイルスの死者が急増した場合、開催までに被害は抑え込めたとしても、参加国は国家の宝である選手を日本に送り込むだろうか。

 今春、世界のトップアスリートたちが「このような状況下で、競技に集中するのは難しい」という理由で、今夏の開催に反対した。そのような事態が、再び起きないという保証もない。そもそも世界中のアスリートが集まってこその五輪だろう。

 森会長が開会式を予定通り行うと発言した背景には、テレビの放映権にまつわる理由がある。テレビ放映権料はIOC予算の7割超を占めると言われており、その半分以上(一説では、7割以上)を米国のNBCテレビが払っている。同社は、東京五輪までの夏冬4大会の放映権を43億8千万ドル(約4690億円)で取得、さらに14年に、22年から32年までの冬季・夏季計6大会の権利を総額76億5千万ドル(約8190億円)で取得している。

 そのため、五輪の開催期間も、各種目の実施時刻も、NBCの意向が色濃く反映している。だとすると、米国が不参加になれば、五輪は、中止の可能性が高くはならないのだろうか。

     *

 考えを巡らせると、「そこまでして、五輪開催にこだわる意味があるのだろうか」という疑問に、自然に行き着く。

 それが、世間に広がる五輪への無関心の大きな要因になっている。

 五輪を断念するなら、今、決断すべきだと私は思う。

 「まだ、大丈夫」という状況で決断することを、「英断」と呼ぶ。

 大抵の場合、「まだ」というような言い回しをした時は、既に相当追い詰められているからだ。もしかすると、日本人は、撤退を判断するのが苦手なのではないだろうか。撤退の判断を誤ったと聞いて思い出すのはバブルの時代だ。バブル経済崩壊があれほどまでに甚大だったのは、政府が「損切り」の判断を先延ばししたからだ。

 いち早く公的資金を入れていれば、その時の何倍もの血税を投入して国家の破産を食い止めなくても済んだ。だが、その前に発生した住宅金融専門会社住専)の破綻(はたん)問題で、安易に公的資金を注入したと、政府が非難された苦い経験があったため、おじけづいてタイミングを逸したと、首相や蔵相を務めた宮沢喜一が後に日経新聞に証言している。そして、日本は破滅の淵に追いやられ、いまだ、日本経済は完全復活に至っていない。

 バブルと五輪開催を一緒にするなという批判はあろう。私も、同じだとは思っていない。

 しかし、あの時の教訓を生かしたいのだ。すなわち現状では、プラスの要素は皆無で、むしろ悪い環境になだれ落ちる可能性ばかりが増していくのだから、今すぐ「英断」を下す――。

 失敗から学習しないのが人間だと、最近思うようになった。それでも、深刻なコロナ禍が続いているのだからこそ、五輪については一刻も早い判断を求めたい。

 ◇この連載の出発点だった「東京五輪パラリンピック」は新型コロナウイルスの影響で延期となりました。2020年はコロナ危機が起きた年として歴史に刻まれ、私たちの暮らしや価値観も大きく変わりそうです。作家の真山仁さんが、移り変わる「いま」を多様なPerspectives(視線)から考えます。〕

東日本大震災9年・・続く台風・大雨被害  13:17 2020/07/19

いつものことながら、東日本大震災も1年後・2年後・・と、その時がやってくるとTVも新聞も騒ぎ出して、その日が過ぎると何事もなかったように静かになるのは、いつものこと。その間、復興のことは、政治からも国民からも忘れさられて、知られない人々が、どうにかしなければ・・と、奮闘する姿が、時にNHKの特集等で見せてくれる。     
昨年の台風による各地の災害・洪水等も、映像から遠ざかると、私たちの意識から消えて、民放で「千葉の屋根を覆うブルーシート」が結構残っていて、家の家族で張り替えをする姿をTVで見ることができた。
貧困なる政治・・それは、国民の心の貧しさを映し出しているのかもしれない。


〔(社説)東日本大震災9年 災害法制の早急な見直しを 朝日 2020年3月13日
 避難してきた人々が体育館で雑魚寝をする。災害時には見慣れた光景だ。昨秋の台風15号、19号のときもそうだった。

 だが、なぜ、いつまでも変わらないのだろう。非常時だから仕方ないと思われがちだが、1週間以上も続くのはどうしたことか。被災者の人権がないがしろにされ過ぎている。

 9年前の東日本大震災から、私たちは何を学んだのか。現場での問題を踏まえ、法律や制度はどこまで改善されたのか。

 振り返ると、未曽有の大災害の経験を生かしていない実態が浮かぶ。

 ■めざせ「TKB72」

 避難所をめぐっては「TKB72」という言葉がある。災害発生から72時間以内に、快適で十分な数の「トイレ」、温かい食事をつくれる「キッチン」、簡易な「ベッド」を提供する。

 不潔なトイレや連日の冷めた飯、硬い床が健康を害し、災害関連死につながる。それを防ぐのに役立つ。イタリアなどでの実践例が報告されている。

 国内ではなかなか進まない。より清潔な新型の仮設トイレや段ボールベッドを、拠点になる自治体が備蓄するか、すぐ調達できる段取りをつけておけば、事態は確実に改善される。避難所の運営を定める災害救助法の趣旨にも沿う。その資金を政府が助成するのは当然だろう。

 復興でも課題は見えている。

 ハード面での典型例が、津波被災地で街の再建に多用された土地区画整理事業だ。都市開発の手法で、権利調整や工事に時間がかかる。過疎の被災地で、しかもスピード重視の復興には適さないと言われ続けてきた。

 いかに不向きだったかは、岩手県陸前高田市など沿岸部の多くの造成地に「空き地」が広がっているのを見れば明らかだ。

 高台への集団移転も計画変更が多かった。人口が減る社会の「まちづくり」は難しいのだ。それに対応できる制度が、いま全国で求められている。

 ■現場の声が届かない

 被災者の支援策でも、制度と現実に隔たりがあった。

 たとえば被災者生活再建支援法。住宅の被害状況を全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊に分類し、最大で300万円を支給する。だが、半壊以下には一銭も出ない。半壊が28万戸を数えた被災地から悲鳴があがった。

 全国知事会はすでに、国と都道府県が折半して、半壊世帯まで現金を渡す案を防災担当相に提言した。

 立憲民主、共産など野党も、半壊へ支援を拡大する改正案を国会に提出している。

 だが、実現していない。

 この間、政府は応急修理の経費の一部を負担する制度改正などはした。しかし、小手先の対応というしかない。

 もっと手厚い再建策を用意すべきだ。仙台弁護士会は被災地で実際にかかった補修費に基づき、支援額の上限500万円への増額を求めた。仮設住宅は建設から撤去まで1戸につき1千万円、公営住宅は2千万円かかる。500万円で自宅に住めるなら効率がいい。

 そのうえ仮設住宅公営住宅の戸数を減らせて、行政の負担も軽くなる。

 南海トラフ地震や首都直下型地震では倒壊家屋が多すぎて、仮設住宅は用意できまい。自宅の補修で対応するのが現実的かつ合理的だ。早く制度を準備しておくべきだろう。

 支援制度は複雑で、わかりにくい。

 現状を踏まえて、関西学院大の災害復興制度研究所は昨年、応急救助から生活再建まで切れ目のない支援をめざす被災者総合支援法案を提言した。災害救助法、災害弔慰金支給法と被災者生活再建支援法などを束ねて再構成し、示唆に富む。

 ■「防災庁」が必要だ

 被災地には支援のあり方を根幹から問う声も多い。

 ・「現物給付」の原則は時代遅れ。金銭給付をもっと柔軟に活用すべきだ。

 ・みずから申請しなければ支援を受けられない「申請主義」が被災者を切り捨てている。

 ・被災者生活再建支援法の支援対象は被災世帯であり、被災者個人の事情は考慮されない、などなどだ。

 こうした声を受け、被災者一人ひとりに支援メニューをつくる「災害ケースマネジメント」が注目されている。

 必要な支援は資金、仕事、教育、医療など多岐にわたり、人それぞれで違う。それらを行政職員らが聞き取り、複数の制度を組み合わせたプランを練る。

 だが、従来にない対応は既存の省庁縦割りの制度の壁にぶつかりがちだ。乗り越えるには、省庁横断的な施策が要る。

 政府は来春から復興庁を10年間延長するが、各省からの出向者を集めた現状では、そういう大胆な対応は望めない。

 だからこそ、防災から復興までを担う組織で、専門的な人材を育て、災害の経験を継承し活用する必要がある。政府は後ろ向きだが、やはり「防災庁」の創設を検討すべきだ。〕

コロナ・母子家庭から、この国の人々の意識が見えてくる  2020/06/14

いつまで続くか予想もできない「コロナ」は、世界中の人々の健康面の脅威となっているだけでなく、人々の生活をおびやかして、経済的な問題をもたらしているが、もともとあった経済的弱者そ存在とともに、職を失う人たちの増加と政治の貧困が浮き彫りになって、社会は・・もともと大きな課題であった「地球の資源でもある人間社会の富を独り占めにしているごく一部の人間の大きな罪」を感じるのは私だけなのだろうか。

私自身が母子家庭で育てられてきたこともあって、いま問題になっているアメリカ發の「黒人差別」の問題とともに、ことに日本での「母子家庭の貧困」は、政治が光をあてない日陰の存在として、女性の社会・政治参加が世界でも底辺に据え置かれていることからも、政治や社会の動きは結局は国民一人一人の意識や生き方の問題に行き着くのではないだろうか。

〔(時代の栞)「OUT」 1997年刊・桐野夏生 深刻化する女性の貧困   朝日 2020年6月10日
 ■ひとり親ら、ぎりぎりの日常

 昼間のパートと、家事や育児の両立が難しくなった主婦たちの記事に、作家の桐野夏生さん(68)は目を留めた。主婦たちが「家族が寝た後の深夜に向かう」のは、弁当工場。その1996年7月の朝日新聞の記事は「土・日出勤も当たり前」とつづる。「すごく痛ましいと感じた」と、桐野さんはふり返る。

 「子育てや介護で家を離れられない女性たちが家計のため、自己犠牲を強いられる。『現代の奴隷』のようだと思った」。心に刺さった痛みに小説の舞台は決まった。

     *

 翌97年に出版された『OUT(アウト)』は、深夜のコンビニ弁当工場で働く女性4人がバラバラ殺人に手を染める犯罪小説。その取材で、最初に関東の小さな弁当屋を訪ねた。暑くて狭い調理場で揚げ物をする主婦は汗だくだった。時給は750円。ファストフードでバイトする高校生の娘より「安い」と嘆いた。

 バブル経済が崩壊して、「雇用の調整弁」であるパート労働は、買い手市場。スーパーのレジ係はフルタイムで働く若い女性が就き、子育てや介護の隙間に働く主婦には、厳しい労働が回された。

 桐野さんは知人の紹介で、小説に登場するコンビニ弁当工場で深夜0時から早朝の5時半まで、ベルトコンベヤーの前に立った。時給は昼間の2割増しで1050円。周りは40~50代の中高年主婦が多い。工場全体を冷やすので、コンクリートの床から伝わる冷えが体の芯の熱を奪う。休憩時間は無く、トイレは許可制で順番待ち。その体験を物語に生かした。

 小説の主人公たちは、姑(しゅうとめ)を介護するひとり親であったり、ホステスと賭博に生活費をつぎ込む夫に暴力を受けたり、ローン地獄に陥ったり、リストラで職場を追われた過去があったり……。「こんな暮らしから抜け出したい」。そうは願っても、低賃金から出口が見えず、何とも身動きがとれない。突破口への渇望が、主婦たちを犯罪へと突き動かす。

 作品を書く動機を、桐野さんは「母親たちはものすごく働いているのに、彼女たちの物語があまりない」と、自身の子どもが保育園のときに感じた疑問だったと明かす。

 父親が稼ぎ、母親は家事と子育て――そんな家族像は少数派になり、主婦たちは住宅ローンや教育費、家計の補助のためパート労働に。家族と低賃金労働の二つによる不安定さが増した。

     *

 小説では、ひとり親の主人公ヨシエは、つらい「現実を見ないようにすること」が生きる術(すべ)と考える。彼女は夫と死別だが、高度経済成長期に増えはじめた離婚は72年に年約10万8千組で、昨年は約21万組に。立教大の湯沢直美教授(58)=社会福祉学=によると、80年代後半から財政支出を抑えるために、家庭を重視する「家族主義」が介護などで強調された。主に生別の母子家庭に支給されてきた児童扶養手当制度では、85年の改定で支給額が抑制された。生別の母親にスティグマ(烙印〈らくいん〉)を負わせるような改定が続いていく。

 一方、女性の非正規雇用者は増え、昨年は1475万人と10年間で275万人増加。女性のひとり親家庭の貧困がクローズアップされ、子どもの貧困にも光が当たるようになった。独立行政法人労働政策研究・研修機構」によると、母子家庭の相対的貧困率は2018年、51・4%と半数を超えている。湯沢さんは「貧困は人々を抑圧し、意欲を奪う。弱い個人に押し寄せた歪(ひず)みはあらわだ。コロナ禍では経済給付に加え、緊急避難できるシェルターや居住保障も重視しないと、生存は守られない」と指摘する。

 ある地方都市のクラフト作家の女性(46)は、離婚して高校1年の長男と暮らすひとり親だ。約180万円の年収を得ていた作品の展示販売会がコロナの影響で中止に。マスクを作り、生活費に充てる。「カツカツの生活が立ちゆかなくなったら、私の食事を削るしかない」と漏らす。

 小説のタイトル『OUT』は「女性の心の空洞」を表現したと、桐野さんは明かす。作品から四半世紀近くたち、その「空洞」は、さらに広がっていないだろうか――。(平出義明)

 

 ■過酷な格差、コロナで相談急増 NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」理事長、赤石千衣子(ちえこ)さん(65)

 私自身、シングルマザーで、親たちが共同運営する保育所に子どもを通わせ、保育者として働いていました。改定されませんでしたが、未婚の母に児童扶養手当が支給されなくなるかも知れないと聞き、「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」の前身「児童扶養手当の切り捨てを許さない連絡会」に1984年に加わりました。「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」が94年に設立され、ひとり親家庭の母と子どもを支援しています。

 男女や正規・非正規の賃金格差は女性やひとり親に過酷に影響します。子育てと両立しやすいパート主婦に合った労働を企業がつくり、蔓延(まんえん)させました。パートやアルバイトで働く母子世帯の母親の年間就労収入は平均で133万円。子どもと暮らすには、どう見ても少なすぎるでしょう。でも、技能を上げることもなく預貯金もできない、その求人にシングルマザーは応じざるをえないのです。まずは、賃金を上げるような仕組みが必要です。

 コロナ禍の影響で、昨年1年間に265件のメール相談が、今年4~5月だけで469件と急増。相談の電話も多い。「子どもに食べさせるため1日1食です」「職場の都合で休職となり収入がない」といった生活の困窮を訴える内容が7割です。ひとり親を含めた、低所得世帯への現金給付など所得再分配策は1度では足りません。さらなる充実が必須です。

 ■本の内容 深夜の弁当工場で働くパートの女性が、夫を殺害したパート仲間に助けを求められ、それぞれが抱える、どうにもならない日常から抜け出すカネのために死体を解体する。犯罪に手を染めていく普通の女性たちの心理描写が斬新と評価されている。

 ■女性や家庭の貧困・格差をめぐる動き

1946年  (1)最低生活の保障(2)国家の責任(3)在留外国人を含む絶対無差別の生活扶助三原則にもとづく旧生活保護法制定

  50年  憲法25条を受け、生存権を保障する生活保護法制定

  60年  所得倍増計画を決定

  60年代 高度経済成長によって経済格差縮小

  62年  児童扶養手当法の施行

  70年代 「一億総中流」時代。「国民生活に関する世論調査」で生活程度を「中」とする回答が9割に達する

  85年  児童扶養手当の改定で、遺族基礎年金の支給対象であった死別の母子家庭と、生別の家庭では差が生じる

  90年  バブル経済の崩壊

2002年  児童扶養手当の給付を抑え、自立支援策を強化

  06年  「格差社会」が流行語に

  08年  リーマン・ショックで株価暴落

  14年  子どもの貧困対策法施行

     *

 時代の栞(TOKI NO SHIORI)〕

コロナから学ぶことが・・  2020/05/17

コロナ騒ぎで、給食用の牛乳が捨てられたりして、地球の資源について考えさせられる機会でもある。そんな中で目を引いた記事が・・「肉や乳製品の生産と消費を減らすことが、地球温暖化を抑えるのに役立つ」という記事。
最近、体調を崩して、それがきっかけで生活を見直し、体の中の見えなかった動きが見えてきたりして、そこから学ぶことも多い。
コロナの犠牲となるのは、感染者に限らず、生活の糧を奪われる人も多く、それはいままでの個々人の生活に限らず、政治や社会を見直すきっかけにしなければならないのではないだろうか。
余裕のないぎりぎりの生活者や子供たち、そして貧困ぎりぎりで耐えてきた人々の存在が見えてくる。
何かが変わらなければならない。

(社説余滴)誰もができる気候危機対策 村山知博 朝日 2020年5月17日
 「コロナ危機からの経済再建では気候危機対策を忘れずに」という社説を書いた。感染症対策の影響で温室効果ガス排出が世界的に減る見通しだが、景気回復にともなって排出量が再び増えかねないからだ。

 化石燃料の使用を減らしたり、再生可能エネルギーを広げたり。経済の再建を急ぐにしても、同時に社会の脱炭素化を進めることを心がけないといけない。

 といっても、自分に何ができるのか? そう戸惑う人も少なくないだろう。

 省エネに努める。徒歩や自転車を活用する。家の屋根に太陽光パネルを設置する……。頭に浮かぶアイデアは、そう多くない。

 実はもう一つ、誰にでもできることがある。

 「食生活の見直しが地球の健康につながる」。国際環境NGOグリーンピース・ジャパンの報告書が、そう提唱している。肉や乳製品の生産と消費を減らすことが、地球温暖化を抑えるのに役立つという。

 報告書によると、世界で食肉処理される家畜の1人当たりの数は、過去50年間で3倍以上になった。その分、各種の肉や牛乳、チーズなどが食卓に載るまでに排出される温室効果ガスも増えたことになる。

 牧場や農場のため森林を切りひらけば、二酸化炭素の吸収量が減る。肥料や飼料、食肉の生産・加工・運搬には、農業機械や工場、トラックなどから二酸化炭素が排出される。

 昨年、国連の気候変動に関する政府間パネルIPCC)がまとめた特別報告書は、人間の活動で出る温室効果ガスのうち2割以上が農業や林業にともなうものだと指摘した。

 食料分野で出る温室効果ガスの6割以上が、動物性食品に由来するとの分析もある。肉や乳製品に偏らぬよう、一人ひとりが食生活を見直す意義は大きい。

 もちろん、コロナ禍で酪農家や畜産農家が苦しんでいるいま、菜食をめざそうというわけではない。

 「2050年までに動物性食品の生産と消費を半減しよう」と、グリーンピースは提唱している。少しずつでも努力すれば、生物多様性保全し、過剰な土地利用を抑えられる。

 長い目で食生活のバランスを心がけ、我が身と地球を健康にしたい。

 (むらやまともひろ 科学社説担当)

見えなかったことが・・  2020/04/17

コロナ・・で、世界は混乱・・だが、それで見えなかったものが、ここに見えてきて・・、それは別世界のことに見えてくるのだが・・・。そんな、世界の片隅が見えてくると、社会とは何なのだろう・・、ひとびとは・・、TVに映し出されれている映像とは・・考える時間がここにでてくる・・・。

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〔 夕飯抜いて子の昼食に 給食ない1カ月、4キロやせた母 朝日 2020年4月15日
 新型コロナウイルスの感染を防ぐとして始まった小中学校などの休校が、長いところですでに1カ月を超えた。この間、深刻化しているのが、給食がないことによる低所得世帯への影響だ。安い値段で栄養がある昼食を保障してきた給食がないことで、ぎりぎりでやり繰りしてきた親子の暮らしが追い詰められている。

 「子どもに食べさせるのが精いっぱいで、3月はほとんど自分の夕飯は食べられなかった」

 東京都世田谷区で小学校低学年の長女と暮らすひとり親の女性(31)は、3月2日から始まった休校で苦境に立たされた。いまは生活保護を利用しながら就職に向けた資格取得を目指しており、家賃や光熱費を引いた月5万円ほどで生活をやりくりしている。

突然の休校で準備できず
 これまでも、1カ月間給食がなくなる夏休みには娘の昼食を家でつくる必要があり、出費が増えるため、前の月から食材を少しずつ冷凍保存するなどして備えていた。だが今回は、何も準備ができないまま突然休校になった。「他に削れるところがない」。1食増えた分、自分の夕飯を抜いた。

 3月下旬に小池百合子都知事が外出自粛を呼びかけると、さらに家計は逼迫(ひっぱく)した。食料品や日用品の買い占めが起き、安い食材から売り切れていった。お米も底を突きかけ、100円で買ったレトルトのハンバーグを潰してソースを作り、パスタを食べてしのいだ。

 1カ月間で、体重は4キロ減った。4月に入り、ようやく学校が再開されると思った矢先に、5月の連休までの休校が決まった。女性は「子どもが『食べたい』と言ったものを作ってあげられなかったときはつらかった。今はどうにか生活を立て直しているところだが、予測のできない出費があると本当に苦しい」と話す。

 子育て世帯の窮状は、民間の支援団体にも寄せられている。

 ひとり親を支援するNPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむは3月、低所得のひとり親への緊急支援として、希望した全国の1094世帯にお米5キロずつを配布。その際に受け取った保護者から「3月は収入がなく、追い詰められていた」「『お金がかかるから』と、子どもが朝ご飯を抜くようになってしまった」といった声が寄せられた。赤石千衣子理事長は「思っていた以上に厳しい状況だ」と話す。


子どもの食の保障、各地で模索
 そんな中、休校中の子どもの食事を保障しようという試みが各地で始まっている。

 東京都文京区では、低所得世帯に学用品費などを補助する就学援助を利用して給食費などの支給を受けている世帯に、休校中の平日、1日当たり500円の昼食代を補助している。3月には、官民で作る「こども宅食コンソーシアム」が、ふるさと納税を活用し、子どもだけでも調理しやすいレトルト食品などを約600世帯に届けた。

 大阪市は、子ども食堂の実施団体などを対象に、活動に必要な物資などについて尋ねるアンケートを実施中だ。子ども食堂の開催が難しくなる中、代わりに子どもたちに弁当を届けようとする団体に、必要な容器などを提供したい考えだ。

 東京都豊島区では、子育て支援団体などでつくる「TOSHIMA TABLE」が就学援助世帯に無料で食料品を配る「としまフードサポートプロジェクト」を実施。区立小中学校で登校日にチラシを配ってもらうなどして利用者を募り、区が各家庭に食品の提供を呼びかける「フードドライブ」で集めたり、企業などから直接寄付されたりした食料品を配った。3月は計4日間で419世帯が利用。4月以降も、食料品を各家庭に配送したり、配布場所を分散させて屋外で配ったりするなど、感染防止に努めながら活動を継続するという。


行政の主体的関与、求める声も
 香川県小豆島町で活動する一般社団法人「小豆島子ども・若者支援機構」も、子ども食堂の活動を食品の個別配送に切り替えた。今後、クラウドファンディングサービス「READYFOR」などで資金を募りながら、週に1度、子育て家庭におにぎりを届けるという。ただ、支援が必要な家庭がどこにいるのか、情報も不足しているといい、岡広美代表は「公的機関とも連携できたら」と話す。

 子どもの貧困問題に取り組む公益財団法人「あすのば」の小河光治代表理事は「長期休暇中に子どもが十分な食事を取れず、やせてしまうことはこれまでも起きていたが、今回の休校はすでに夏休みより長期化しており深刻だ。感染リスクが高まる中、民間団体で取り組めることにも限界があり、行政が主体的に子どもの食を保障すべきだ」と話す。

 市民団体「なくそう! 子どもの貧困」全国ネットワークは14日、経済的な困難を抱える子育て世帯への支援強化を求める要望書を政府に提出した。休校中の昼食代の補助や、希望する家庭への給食提供や弁当配布、無償で食料品の提供などを行う民間の取り組みへの財政支援などを盛り込んでいる。(伊藤舞虹)〕

いまの社会と救われる言葉  2020/03/28

最近、政治はTVでも、総理大臣の空しい言葉を聞いても、その顔を見ても・・チャンネルを変えることが多い。その背景に、政権を支える自民党員と全国の支持者がいる。総理大臣自らが、森友・加計問題から事ある問題に至るウソをつきまくっていることは明らかだと私は思っているから、選挙も民主主義も空しい言葉に過ぎない。いまの社会・世界を見ても、ウソとデタラメが、対立・争い・暴力・腐敗・悲惨をもたらし、戦争は途切れこともない。それが、歴史的に人間がやってきたことなのだ。地球は嘆いていることだろう。

わずかながら、救われる新聞記事にも出合う。

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〔(社説)森友問題 真実知りたいに応えよ 朝日 2020年3月20日
 意に反する不正行為を強いられ、公務員としての矜持(きょうじ)も砕かれた。その無念はいかばかりであったか。いまだ解明されていない森友問題の真相に迫る新たな動きにつなげねばならない。

 森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざんに加担させられ、自ら命を絶った近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)の妻が、国と当時の理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)氏に損害賠償を求める訴えを起こした。

 弁護団が公表した赤木さんの手記には、本省主導で公文書が改ざんされていく過程が、関係者の実名入りで詳細に記されていた。すべてが佐川氏の「指示」であるのに、近畿財務局に責めを負わせようとする財務官僚の無責任体質への怒りもつづられていた。

 麻生財務相はきのうの記者会見で、18年に財務省が公表した調査報告書と手記の内容に「大きな乖離(かいり)」はないとして、再調査を行う考えはないと述べた。報告書では、佐川氏が改ざんの「方向性を決定づけた」と認定しているが、具体的な指示があったのか、佐川氏の一存だったのかなど、肝心な点ははっきりしていない。

 そもそも、第三者が入らぬ財務省の内部調査である。首相官邸森友学園の名誉校長だった安倍首相の妻の昭恵氏らからは話も聞いていない。そして、この問題の核心である国有地の大幅値引きについては端(はな)から何も調べていない。全容解明に程遠い報告書を盾に、再調査を拒むのは不誠実極まりない。

 佐川氏には法廷で真実を話すとともに、国会でも説明責任を果たしてもらわなければならない。国民共有の財産である公文書が改ざんされ、国民を代表する国会の審議がうその資料と答弁の上に重ねられた。大阪地検の捜査は関係者の不起訴で終わっているが、立法府の行政監視機能がないがしろにされたのである。国会が真相解明に後ろ向きであってはならない。

 「(国有地売却に)私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」。改ざんは首相がこう言い切った国会答弁の後に始まった。首相は手記をどう受け止めるのか。国会できのう「胸が痛む」としながらも、事実関係は麻生氏の下で徹底的に解明されているとの認識を示した。この問題をもう終わったことにしたいのだろう。

 赤木さんの妻が公表したコメントにはこうある。「夫が死を選ぶ原因となった改ざんは、誰が誰のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたのか、真実を知りたい」。この切実な声に応えずして、首相への信頼回復はない。


池上彰の新聞ななめ読み)財務省職員自殺、遺族が提訴 記者の「共感力」あらわに  朝日 2020年3月27日

 私の記者生活は今年48年目になります。長ければいいというものでもありません。何をやってきたんだろうとの自戒を込めつつ言いたいことは、記者には「共感力」とでもいうべきものが必要ではないかということです。ここでの私の定義は「弱い立場の人の思いに共感し、その人に代わって発信する力」のことです。

 「読者に寄り添う」とか「読者の視線で」とかの表現もありますが、「寄り添う」という言葉は、すっかり手あかがついてしまいました。そこで私が使うのは「共感力」です。

 記者は、世の中のあらゆる事象を扱います。私も駆け出しの記者時代、さまざまな事件に遭遇し、多数の遺体を見てきました。無残な遺体の身元確認をすることになった遺族の横で言葉を失ったこともあります。

 どうすれば、こんな悲劇が二度と起きないようにすることができるのか。自問自答しつつ、そのためには事件や事故をきちんと世の中に伝えることだと言い聞かせて仕事をしてきました。

 しかし、慣れとは恐ろしいもの。そのうちに悲惨な現場を悲惨と感じなくなっていく自分がいました。自分の感情を押し殺した方が、取材が迅速にできるという事情もあったからですが、いつしか「共感力」が摩滅したように思えました。

 でも、それでいいのだろうか。自分は何のために記者になったのか。いまの現役の記者諸君にも原点に返ってほしいと思うのです。

     *

 私がこう思ったのは、「森友文書改竄(かいざん)」問題で財務省の職員が自殺したことをめぐり、自殺した職員の妻が国と佐川宣寿・元同省理財局長に損害賠償を求める訴えを起こした記事を読んだからです。

 私はいま「改竄」と書きました。朝日新聞の用語ルールでは「改ざん」と書くのですが、改竄と書いた方が悪質なイメージが喚起されるので、あえて漢字にしておきます。

 3月19日付本紙朝刊は、1面トップでこのニュースを伝え、2面、4面、39面でも扱っています。

 実はこの話は「週刊文春」が先に報じているのですが、弁護団が職員の手記や遺書を公開したことで、新聞各紙も報じることができました。

 週刊文春でこのニュースを伝えたのは、NHK大阪放送局で森友事件を取材していた相沢冬樹氏。NHK内の人事異動で記者を外され、いまは大阪日日新聞記者です。記者魂とはどんなものか教えてくれます。

     *

 では、朝日以外の新聞は、このニュースをどう伝えたのか。毎日新聞は同日付朝刊1面の左肩に掲載しています。朝日ほどではありませんが、それなりの報道です。

 1面での扱いは大きくありませんでしたが、26面に残された手記の全文を紹介しています。朝日は手記の要旨しか掲載していなかったので、この点で毎日の扱いが光っていますね。読者は週刊文春を買わなくても全体を把握することができたのですから。

 読売新聞は、どうか。34面に「自殺職員の妻提訴」という3段見出しの記事です。4面の政治面でも財務省の対応を小さく報じていますが、これだけです。記者には「共感力」が求められると冒頭に書いたのは、この扱いを見たからです。

     *

 公文書の改竄をするように求められた職員が自殺し、改竄の経緯を記した手記を残していた。職員は、改竄を求められたことなどからうつ状態になり、自殺。その後、財務省の近畿財務局は、公務災害に認定している。これは大ニュースでしょう。これを大きく扱わないというのは、どういうことなのか。現場の記者が短い原稿を書いただけだったのか。それとも現場の記者はしっかりとした原稿を書いたのに紙面化の段階で小さな扱いになったのか。真相は紙面を見るだけではわかりませんが、記者の原点に返ってほしいと言いたくなったのです。

 一方、日経新聞は、提訴の記事だけでなく、職員が残した手記の要旨も掲載しています。日経新聞の記者の方が、読売の記者より「共感力」があるように思えます。〕

 

諫早干拓訴訟とは   2020/02/25

諫早訴訟の差し戻し審が始まった。いつの頃からかと調べてみると、30年も前・・。

〔 1989年からは国営諫早湾干拓事業が開始され、1997年には諫早市雲仙市に跨る約35km2の海域が締め切られた。堤防内は干潟の乾燥化と調整池内の淡水化が進み、干潟の生物が徐々に死滅した一方、二枚貝の一種であるヒラタヌマコダキガイが激増するなどの変化が見られた。
水質も汚染が進み周辺では悪臭を感じることもあり、その汚水が排出されることによって有明海全体が汚染されようとしているという指摘もある。〕

漁業者側と農業者側との争いかとも思っていたが、そこに国がはいって・・いまは 「農漁共存の和解」と国との争いの様相を呈しているようだ。

〔漁業者側は和解協議を求める上申書を提出し、国は改めて開門を命じる確定判決の無効化を訴えました。この裁判は諫早湾干拓事業をめぐり、2010年に確定した開門を命じる判決に従わない国が、漁業者に開門を強制しないよう求めているものです。〕という。


昨年の「最高裁判決」に戻ると・・
〔 諫早干拓訴訟で差し戻し 最高裁判決、「ねじれ」続く 2019/9/13
国営諫早湾干拓事業長崎県)を巡り、国が潮受け堤防排水門の開門を強制しないよう求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は13日、国の請求を認めた二審・福岡高裁判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻した。開門の是非は判断しなかったが、開門命令の無効化もありうるとの方向性を示唆した。

開門、非開門の相反する義務を国に課した司法判断の「ねじれ」は続くが、差し戻し審では国が主張する確定判決後の事情変化などを踏まえ、開門の強制が権利の乱用に当たるかが判断される見通しだ。

二審判決は「漁業権が消滅し、開門請求権も失われた」として国側勝訴とした。しかし、最高裁は漁業者がすぐに新たな漁業権の免許を得ている点を挙げ、開門命令の無効化を認めたことを「是認できない」と否定した。無効化の可能性もにじませた内容だ。

訴訟では一審判決は国の請求を退けたが、二審で国が逆転勝訴。漁業者側が上告した。

漁業者側は「国が確定判決を守らないことを裁判所が認めるなら、誰も裁判所を信用しなくなる」と主張してきた。これに対し国側は、漁業者側の開門請求の前提となる漁業権はすでに消滅し、請求権は失われたとした上で、漁獲量が増加傾向に転じるなどの事情の変化があったと主張。確定判決に基づく制裁金は許されないと訴えていた。〕


〔 諫早訴訟、差し戻し審始まる 朝日 2020年2月22日
 国営諫早湾干拓事業長崎県)をめぐり堤防排水門の開門を命じた確定判決を強制しないよう国が求めた訴訟の差し戻し審が21日、福岡高裁(岩木宰裁判長)で始まった。

国側は確定判決から時間が経ち漁獲量も増えたと主張し、開門命令を強制しないよう改めて求めた。漁業者側は反発し、開門調査を行う和解での解決を訴えた。訴訟は、開門を命じた2010年の福岡高裁判決を強制しないよう国が求めたもの。判決確定後も国は開門しようとせず、命令の「無力化」を求め提訴。福岡高裁は18年、「無力化」を認めたが、最高裁は昨年9月、高裁判決は認められないとして破棄し、審理を差し戻した。

リポート:「あくまで開門を求めながらもすべての論点を議論すべきとして、和解協議を求める漁業者側に対し国は和解のテーブルに着く気はなく、これまで通り、確定判決の無効化を訴えています。一度は判決を出し、それを破棄され、差し戻された裁判所が、解決への道筋をどのように示していくのか注目されます」〕

漁業者側は話し合いにより営農者を含め当事者すべての利害を調整すべきとして、和解協議を求める上申書を提出しているという。
馬奈木昭雄弁護団長:「被害が出ると言ってる人がみんな集まって、その被害をそれぞれ言って対策はありませんかと、こうしたら対策になりませんかと、みんながよくなろうねと、その話し合いをしましょうよと」

漁業者・営農者がともに共存の道を探っているときに、どう見てもその言い分が解らない国とは、あらためて何なんだろう。